これは、博多塀というそうで、
豊臣秀吉が博多の町の戦災復興、いわゆる太閤町割りを行ったとき、神社・仏閣や豪商の屋敷に築かれた土塀は、兵火による焼石、焼け瓦を粘土で固めてつくられ、「博多塀」と呼んだそうです。
色々なものが詰め込まれた壁なのですね。
明治39年(1906年)に博多商人、下澤善右衛門親正が住吉別荘を建てた跡地となります。
親正は、父尚正と親子二代にわたり、家業と並んで福博の発展に貢献した人物で、「楽水」とは、親正の雅号です。
戦後は、旅館「楽水荘」として使用され、平成7年(1995年)に福岡市が池泉回遊式の日本庭園として整備、開園しました。その際に、本園の名称もその由来を受け継ぎ「楽水園」と名付けられています。
ちょっとお邪魔しま〜す。
とても素敵な石畳とお庭。いいですね、博多駅近くなのに。。。!!
あ!!お茶できるみたいですね。ちょっと行ってみよっと!